混沌とした世界を描いた楽曲
トゲナシトゲアリの「偽りの理」は、淀んでいる歪んでいるこの世界に立っているという歌詞から始まります。
主人公は自分が何者でもないことに悩み、敵味方がわからない状況に迷っています。
他人行儀に振る舞うことに飽き飽きしている彼は、他人がいつも言う「人に優しく」という言葉に疑問を抱いています。
自分に自信がないから、強がっていたのだと彼は答えます。
しかし、立ち止まって頭を空っぽにするよりも、自分を押し殺して生きることを選びます。
彼は削り合いの出来レースに傍観者として参加し、あざ笑います。
彼はこの世界に立ちながらも、日常に揺らめき、潜んでいることに気づきます。
彼はなりたい理想がなく、なれない思想もないと感じています。
問いの行方を持ちながら、彼は輪廻が転生していくこの世界で幻想に踊らされ続けるのでしょう。
淀んでいる 歪んでいる この世界に立って
ただここで息をしていた
この歌詞の一部分は、「淀んでいる 歪んでいる この世界に立って」というフレーズです。このフレーズは、歌手が現実世界に立ち向かっていることを表現しています。””淀んでいる””という言葉は、何かが滞っている状態や停滞している状況を指しており、””歪んでいる””という言葉は、現実が歪んでいると感じることを表しています。
歌手はこの淀んだ、歪んだ世界に立ちながらも、ただここで息をしていると歌っています。この表現からは、歌手が現実に立ち向かいながらも、生きていることに意味を見出している様子が伺えます。また、””ただここで息をしていた””というフレーズは、歌手が自分の存在を確認し、生きていることを実感していることを示唆しています。
立ち止まって頭空っぽにしてるくらいなら
死にたい自分押し殺して
削り合いの出来レースにて
傍観者となってあざ笑う
わかった気になってんなクソ喰らえ
この部分の歌詞は、主人公が現実の世界に疲れ果てていることを表現しています。主人公は立ち止まって考えることもせず、頭を空っぽにしてしまうほどの状態になっています。しかし、それよりも死にたいという思いが押し寄せてきているようです。
主人公は現実の世界での競争や争いに疲れ果てて、傍観者として立ち尽くしています。他人の争いを見て、それをあざ笑っているような態度を取っています。そして、自分が何かを理解したような気になっているが、それはただの妄想であり、現実から逃げるための言い訳に過ぎないと言っています。
この部分の歌詞は、主人公の内面の葛藤や現実への絶望感を表現しています。彼は自分自身に自信がなく、強がっていることで自分を守ろうとしています。しかし、その強がりも限界に達しており、現実から逃げることができない状況に苦しんでいます。
淀んでいる 歪んでいる この世界に立って
ただここで息をしていた
この歌詞の部分は、歌手が淀んでいる世界に立ちながらも、ただここで息をしているという状況を表現しています。淀んでいるとは、何かが滞っていたり、停滞している状態を指しています。また、歪んでいるとは、歪んだ価値観や現実が存在していることを意味しています。
この部分の考察としては、歌手が現実の中で生きている中で、何かしらの困難や苦しみを感じていることが伺えます。淀んでいる世界に立っているということは、周りの状況や人々の行動に疑問や不満を感じている可能性があります。しかし、それでも歌手はただここで息をしていると歌っており、現実を受け入れつつも生きていこうとしている姿勢が見受けられます。
まとめ
トゲナシトゲアリの「偽りの理」は、淀んでいる歪んでいる世界に立ちながらも息をしていくというメッセージが込められた歌です。歌詞の中では、他人行儀に飽き飽きしている主人公の心情や、自分に自信がないから強がっていたという葛藤が描かれています。また、傍観者として削り合いの出来レースを見てあざ笑う姿勢や、幻想に踊らされている様子も表現されています。この歌は、現実と理想の間で揺れ動く人々の心情を描いたものであり、自己肯定感や恐怖といった感情についても触れられています。