絶望と不幸をテーマにした楽曲
shallmの「白魔」という曲は、絶望と不幸をテーマにした歌詞が特徴です。
歌詞の中では、この世の終末や戦争に怯えることはないけれど、ちょっとした絶望や不幸に弱っていく様子が描かれています。
ちっぽけなディストレイト(絶望)を万歳するような歌詞が印象的です。
また、子供のままでいることや夜に酒を飲む場面も描かれています。
この曲は、寒い夜に帰る場所もなく、起きる理由もないという孤独な状況を歌っており、聴く人に共感を呼び起こすでしょう。
別に
この世の終末や数々の戦争に怯え過ごしてはいない
だけどほんのちょっとの絶望と不幸を肥らせ弱っていく
ちっぽけディストレイト万歳!
いつまで経っても子供のまんまで
夜に暮れる路肩に飲んだくれる
この部分の歌詞は、主人公が世界の終末や戦争には怯えていないが、少しの絶望や不幸によって弱っていく様子を描いています。””ちっぽけディストレイト万歳!””というフレーズは、主人公が自虐的に自分の小ささや絶望感を受け入れていることを表しています。また、””いつまで経っても子供のまんまで””というフレーズは、主人公が大人になっても子供のような心を持ち続けていることを示しています。夜に暮れる路肩で飲んだくれる様子は、主人公が現実から逃げるために酒に頼っていることを表しています。
今日は寒くて帰れない帰りたい場所もない
明日は早くて起きれない 起きるための理由もないけど
降り掛かってくる雪と染み込んできた惰性を全部払って
彼は終電も忘れ走る
この歌詞の一部分では、主人公が寒い中で帰りたい場所がなく、明日も起きる理由がないと感じていることが描かれています。彼は雪が降り始める中、過去の惰性を捨てて走り続けています。
この部分の考察では、主人公の孤独感や迷い、そして過去の惰性からの脱却を感じることができます。彼は帰る場所もなく、起きる理由もないと感じているが、それでも終電を忘れて走り続ける姿勢が描かれています。
ちっぽけシンチレーション万歳!
いつまで経っても迎えは来なくて
項垂れる路肩の猫を撫でる
この部分の歌詞は、主人公が待ち続けていることを表現しています。””迎え””が来ないということは、主人公が誰かに待たれている状況であることを示しています。しかし、その待ち続ける時間が長くなり、主人公は項垂れる路肩の猫を撫でることで時間を潰しているようです。
この歌詞からは、主人公が寂しさや不安を感じながらも、それを受け入れている様子が伺えます。””ちっぽけシンチレーション万歳!””というフレーズは、主人公が自分の小さな存在や輝きを楽しんでいることを表しています。彼らしいポジティブな考え方で、待ち続ける時間を乗り越えようとしているのかもしれません。
別に
心がときめく運命の人と恋に落ちていたい訳じゃない
だけどほんのちょっとの贅沢と安定の享受を待っている
ちっぽけシンチレーション万歳!
いつまで経っても迎えは来なくて
項垂れる路肩の猫を撫でる
この部分の歌詞は、主人公が恋愛に対してどのような気持ちを抱いているのかを表現しています。彼は心がときめく運命の人と恋に落ちることを求めているわけではありませんが、少しの贅沢や安定を待ち望んでいます。彼はちっぽけな輝きを喜び、いつまでも迎えが来ない現実に頭を垂れている路肩の猫を撫でることで、自分の心の中にある寂しさや不安を癒しているようです。
まとめ
shallmの「白魔」の歌詞を解説しました。
この歌詞は、絶望や不幸ではなく、ちょっとした絶望や不幸を通じて弱っていく様子を描いています。
歌手の心情や日常の中で感じる孤独や希望をテーマにしており、寒い夜や雪の中での思いを綴っています。
また、恋愛や人生においての贅沢や安定を待ち望む心情も表現されています。
この歌詞は、ちっぽけな存在感や迎えを待つことのない孤独さを描きながらも、希望や夢への願いを持ち続ける姿勢を表現しています。